G.B.Times 2026 年6月号  No.17                                                                                                    

Hello!!



 バラが咲いた!そう、ボクの庭にとうとうバラが咲いたのです。その可憐かつ立派なことと言ったら!
 いえいえ、うちの庭(のようなもの)は自由、平等、博愛の精神でやってますから、ハコベもカタバミもバラも依怙贔屓はしないつもりなんですが、でもバラと言うよりも薔薇という文字がふさわしいボレロちゃんに、ついメロメロになってしまう5月でした。

 荒川車庫から荒川遊園に向かう沿線にもずーっとバラ。ここのはひたすら元気旺盛。友人の夫さんのバラ博士によると、開花時期が年々早まっているそうで、それは少し心配です。

仲間たち

 隣のシマでご飯を待つピッチと真っ黒クーちゃん。仲良く同じポーズでキメています。すぐ近くにベルベットや半グレもいます。

仲間たちその2

 山椒の木にアゲハがやって来ました。多分産卵のため。アゲハのあおむし君は食欲旺盛で、すぐに葉っぱを食べつくしてしまいます。蝶が生き延びるのは大切だけど、丸坊主にされないように、葉っぱの方も時々見てやらなきゃ。


なるかならぬか

あおむし君に負けないくらいじじもばばも食いしん坊だから、せっかくなら食べられるのがいいなと、実のなる木を植えています。ミカンは赤ちゃんのような小さな実が付いています。買ってきた年には1個だけ実りました。小さかったけど、ミカンの味がしました。



 2本も植えたイチジクは、期待してたのに、葉が生い茂るばかりで、全然実が付きません。
 テレビで奈良の尼さんたちが、「成木攻め」という豊作祈願をしていたのを見ました。
「成るか成らぬか、成らぬと伐るぞ」と木を脅すのです。これは効き目がありそうです。 やってみましょうか。

 それとは逆に全盛期を迎えているのが桑の木です。びっくりするほどたくさんの実が付いています。実家の庭にも桑があったのを覚えていますが、実がなるなんて知らなかった。 じじいの家には大きい木があって、絞ってジュースが作れるくらいなっていたそう。

 赤いのはまだダメで、熟して黒くなったのを選んで摘みます。この熟した桑の色を北関東の言葉でドドメ色と言うのだと伊藤比呂美さんのご著書にありました。昔は養蚕も盛んだったし、桑はどこでも見られたのでしょう。摘むと指先が真っ赤になります。もっともうちのは昔の桑じゃなく、西洋種のマルベリー。どうも淡白で味気ないとじじい。


 桑の実と言えば思い出すのが、童謡『赤とんぼ』です。♫山の畑の桑の実を小籠に摘んだは幻か 童謡だけど、これはやっぱり老人の歌。思い出すけど、昔のこと過ぎて幻のような気もするんです。

♫十五でねえやは嫁に行き、お里の便りも絶え果てた この詞には、作者三木露風の生い立ちと絡め、いろいろな解釈があるらしいのですが、私は歌詞通りに子守りのねえやが嫁に行って、だんだん便りが来なくなって音信不通になってしまった…と取りたいです。夕焼けのもと赤とんぼを見ていた時に私をおぶってくれていたねえや。十五は数えの十五でしょうか。

 マレーシアで、ちょっと有名な中華料理店に行った時のことです。近くのテーブルに中華系の若い夫婦と小さい男の子がいました。そしてその小さい子をかいがいしく世話しているのが、マレー系の少女でした。まだ中学生ぐらいに見えました。インドネシアから出稼ぎに来た子だったかもしれません。仕事を始めてから日が浅いのか、緊張して一生懸命働いているのが見ていて痛々しいくらいに分かりました。小さい男の子は彼女になついている様子で、おとなしくご飯を食べさせてもらっていましたが、それでも彼は小皇帝で、彼女はねえやだったのです。ねえやもチャーハンを取ってもらって、食べていました。主人夫婦もそれなりに親切だったのでしょうが、彼女の仕草には他人の家のご飯を食べるつらさが染みついているように思えました。その時、突然脳裏に赤とんぼの歌が流れてきたのです。♫十五でねえやは嫁に行き…

 ユニセフのホームページに記載があります。早すぎる結婚、妊娠、出産は少女の心身に多大な負担を与える…少女たちが、みんな幸せな子どもの時間を過ごせますように。

 桑の実は砂糖煮にします。ジャムのようにパンに付けたり、ヨーグルトと一緒に食べたりします。


 Memories

 これも歳取ったからなのか、はたまた暇になったからなのか、何年も忘れていた、ずっと考えもしなかった過去のワンシーンがいきなり浮かんでくるのです。

 その時の気持ちや光景も浮かんできます。子どもだったから、その自分の気持ちが何なのか、名付けることができなかった。でも分からなかったわけじゃない、それをどんな言葉で表現できるかが分からなかったのです。

 それから何十年もたった今、突然その記憶が浮かんできます。その時の気持ちや光景が、今なら分かるような気もします。それを名付けることも、説明することもできるかもしれない。だけど、それはやっぱりリアルタイムで感じたものとは違っているのだろうか。

 子どもの頃住んでいたのは、古い大きな家でした。子どもだから大きいと思っていただけかもしれない。1階には座敷が4つ、東、南、北に長い縁側、お勝手、お風呂、広い土間、土間を通ってずっと奥にトイレがありました。そこに両親と祖母と私の4人が住んでいました。

 無理矢理に作ったような2階にも部屋が3つあって、そこにはお姉さんとか、おばさんとか呼んでいた女の人たちが住んでいました。2階は貸間にしていたのです。

 もともと祖父は警察官だった(刑事だと聞いていました)という堅い家で、知らない人に部屋を貸すなんて考えてもいなかったそうですが、ある日(祖父の死後)、見たこともない女の人が突然訪ねて来て、藪から棒に言うには「この家だとひらめいた。私はどうしてもこの家にお世話になりたいのです。2階を上げて、そこに住まわせてください」

 一体何を言っているんだか、そんなとんでもないと祖母は断ったのですが、その人は何度も何度もやってきて、どうしてもこの家だと決めたのだ、大工も自分が手配するからと言い張るので、とうとう根負けして増築までしてしまったのだと。

 ウソのような奇妙な話ですが、本当のことらしい。祖父が亡くなって、お金が必要だったということもあったのでしょう。その強引な女の人というのが、「Мの母さん」と呼ばれていたミニ細木数子のような人なのですが、それはまた別の話。

 そんなこんなでうちの2階には川反(東北でも有数の飲み屋街、うちからそんなに遠くないところにあったのです)のお姐さんたちが次から次と住むようになったらしいです。次から次というのは、多分同じ人がずっと住んでいたのではなく、何年かして誰かがよそへ行くと、その知り合いがその後に引っ越して来るというような形だったのではないでしょうか。みんながみんな川反の人というわけでもなく、普通の事務員とか店員のような人もいたようです。

 女性たちはみんな優しくてきれいだったような気がします。2階の3つの部屋は鏡の前にお化粧品がきれいに並んでいたり、キラキラしたものが飾ってあったりと階下とは別世界でした。実は安普請で、壁がぺらぺらのべニアだったのも見て知っていましたが。時々お姉さんたちが留守の時にもこっそりお部屋を見てうっとりしていました。お姉さんのうちの誰かにチーズをもらって、生まれて初めて食べました。「バターを食べるの?」と聞いたら、これはチーズよって教えてくれました。

 母や祖母とは違うにおいがしました。だけどみんな自炊をしていて、つつましい暮らしぶりのようでした。

 うちにはまだテレビがありませんでした。真ん中の部屋に住んでいるきれいなおばさんの部屋にはテレビがありましたから、時々遊びに行って見せてもらいました。金曜日の夕方の人形劇「チロリン村とくるみの木」が好きでした。時々男の人が訪ねてくることがありました。きれいなおばさんのところに来るのは、海坊主のようなハゲ頭のおじさんでした。その人が来た時にはおばさんの部屋に入ってはだめだと言われていました。私はその人が身体が大きくてちょっと怖くて、ちょっと嫌でした。

 それからしばらくして、うちでもテレビを買いました。皇太子ご成婚のパレードは町内の金持ちの家の大きいテレビで見せてもらったから、その後のことです。

 それからまた少し経った頃だから、私はもう学校に上がっていたかもしれません。一番奥の部屋に優しいお姉さんがいました。時々遊びに行きました。ある時遊びに行ったら、見たことのない男の人がいました。私はお姉さんが一人だけだと思っていたので、びっくりしました。でも急に帰るのも悪い気がして、なんとなくそのまま部屋にいました。テーブルの上にカップを出したり、並べ替えたりして遊んでいました。男の人は海坊主のおじさんよりずっと若く見えました。やせていて優しそうでした。私が一人で遊んでいるのを見て、お姉さんが「こんな時が一番いいな」と言いました。そんなようなことを私に言う人は、多分他にも何人もいました。私は子どもの時の方が幸せだという意味だと分かりました。それが本当かどうかは考えませんでした。大人はそういうことを言うものだと思いました。すると男の人は「そうだな」と言って、うっすらと微笑みました。お姉さんと二人で寂しそうに微笑んでいました。お姉さんが、「私はこのお兄さんとお話があるから、もう階下へ行きなさい」と言いました。私は「うん」と言ってすぐに部屋を出ました。もう私がいてはいけないのだと分かっていました。どうしてかは分からないけど。みすぼらしいような寂しい部屋に、幸薄そうなお姉さんと影の薄いような優しそうなお兄さんがいた情景を思い出すことができます。子どもの時はそんな風に、何の注釈も付けずに物を見ていました。意味づけをしたりしなかった。きっと私がぼんやりした子だったからでしょう。

 お姉さんはそれから間もなく川反に自分の店を出すことになり、家を出ていきました。誰かお金を出してくれる人が現れたというような話だったかもしれません。店は「蜂」という名前だと聞きました。あの優しいお姉さんが、どうして蜂だなんて怖そうな名前を選んだんだろうと、私はまたぼんやり思っていました。

 その後は、一度もその人に会ったことがありません。何と呼んでいたのか、お名前も思い出せません。

文豪 のら犬

 孫娘たちはみんな熱心にゲームをしたり、You Tubeを見たりするが、本は苦手みたいです。はっきりと「本、嫌い」とまでいう子がいる。こら!小さい時あんなに読んであげたのに。がっかり…

 だけど11歳のみーちゃんは何故か太宰治を知っているのです。芥川龍之介も、泉鏡花も中也も朔太郎も知っている。どうして?! 「太宰治ってこんな人だよ。この人を知ってるの?」と、有名なルパンの写真を見せて訊くと「違う、違う。そんな顔じゃない。イケメンなの」ですって。どうやら〝文豪”について何にも知らないのに、名前だけは知っているのです。聞けばなんと「文豪Stray Dogs」というマンガがあるのだとか。かっこいい名前のイケメンたちが戦うらしいのです。

「主役は誰?」と尋ねたところ、

「アツシ。虎に変身して戦うのが得意技」ですって。え!まさか中島敦?まさに山月記もびっくりな展開でした。

 しかし、ネットにすっかり負けっぱなしの日本文学にも、もしかしたら生きる道があるのかもしれない。なにしろ、マンガに採用されるほど「かっこいい名前の作家」だらけなんですから。本物は名前のカッコよさほどにはイケメンじゃないにしろね。

Art

さち、ふみがそれぞれ学校で作った作品です。珍しく手書き。さっちゃんの絵みたいに目から破壊光線を噴出したいなあ。ふみちゃんの絵もちょっと怖くて深そうだ。


編集後記

 今年は裏山の大根花が一つも咲きませんでした。葛とドクダミは変わらずに元気だけど。植物の覇権をめぐる戦い、水面下(地面下)ではどんなことが起きているのでしょう。
 いくつになっても不思議なことばかり。知らないことばかり。


 斜面の桜はすっぱりと伐採されました。












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