G.B.Times 2026 年7月号  No.18

Hello!!

 7月に入りましたが、まだ梅雨です。



 6月は水無月。和菓子のみなづきを見ると京都を思い出します。
6月になるとお菓子屋さんの店先のダシにみなづきがたくさん並べられていました。東京ではそれほど見ないような気がします。郊外の小さなお菓子屋さんにも、この季節は手作りのみなづき。店先をちょろちょとっと何かが走って、「とかげ⁈」と言ったらお店のおばあさんが「家やもりでな…」と教えてくれました。やもりは家守に通じるから大事にされていたんですね。


仲間たち

  ピッチはすっかり我が家に居つきました。
じじい手作りの猫ハウスの上に日がな一日陣取っています。
もともとこの猫ハウスは、ピッチの母びっちのための家だったんだけどな。
何代も続く野良、野性味の強いピッチは決して人に気を許さず警戒心が強い。
…筈だったが、近ごろちょっと局面が変わってきました。
エサが足りないと、ガラスの向こうからじっと熱っぽい目で。
まるで催促するようにこちらを見ます。こちらも情がわいてきます。
 少し前まではびっちが来ると「ふーっ!!」と威嚇したり追い掛け回したりしてたけど、今はそれもなくなりました。
びっちがエサを食べに来ても箱の上から悠然と見ています。
勝敗が付いて順位が決まったからだろうとじじいは見立てています。
お乳をやって育てたのにね。お互いにもはや親子とは認識していないようです。
これが厳しい野生の掟なのか。

仲間たち part2

 うちの中にこんな子がいました。(かなり瀕死ですが)
Google先生にお尋ねしたところ、クロホシタマムシらしいです。
どこから来たんだキミ?そっと草むらに放してやりましたが、生き延びられたかどうか。

木、草、花

窓から大きい木が見えます。この時季、地味に花が咲きます。
故郷ではあまり見なかった木ですが、意識して見ると街路樹などもこの木の仲間がいて、やはり地味に咲いています。
 この大きな木は、毎年切られてほとんどの枝を落とされるのに、春になると、またしぶとく葉を付け花を咲かせます。
 去年、切られているところをひろちゃんがじっと見ていました。
何見てるのと聞いたら「きこりさんを見ているの」だって。
きこりさんって。 


 ねむの木は夏休みが始まる頃に咲くような気がしていたけど、もうこの時季に咲いています。桜と梅が一緒に咲く故郷とは、ちょっと違うのかもしれません。
 象潟や 雨に 西施が ねぶの花
芭蕉と曽良が象潟を訪れたのは元禄2年6月16日。新暦では8月1日だそうです。

 この紫の花は昔は見なかった。これもGoogle先生がムラサキカタバミと教えてくれました。黄色いカタバミより一回り大きい。アメリカ産ですが、何と、江戸時代からあると。繁殖力が強いらしい。そう言えば黄色いカタバミをあまり見なくなったような気がします。
 うーん、水面下で(地面下だってば)何が起きているんだろう。

Memories  Kさんのこと
 子どもの頃、うちにはさまざまな人がよく来ていたものだ。 今住んでいる家は夫と二人だけでほとんど訪れる人もない。マイホームと言うか、シェルターと言うか、暑い時には裸同然でいても平気なわけで居心地がいいとも言える。しかし子どもの頃の、つまり昔の「家」はマイホームじゃなくて、もう少し大きな入れ物だったような気がする。うちは両親と祖母の4人だけだったからこじんまりした方だったが、近所のイサオちゃんの家はおばあちゃん、両親、子どもが3人に叔父さん夫婦とその子ら2人という大所帯だった。おじさん一家の方はイサオちゃんたちとは別の棟というかミニマルな部屋に住んでいたが、そこはもともとは鶏小屋だったそうで、イサオちゃんはその一家を「鶏小屋」と馬鹿にしたように言うこともあった。でもイサオちゃんが住んでいた本宅?も鶏小屋と大差なかったかもしれない。イサオちゃんちに遊びに行ったとき、畳に寝っ転がって天井を見たら、星がたくさん見えた。「なんてきれいなんだ。イサオちゃんちは昼でも星が見える」とうっとりして眺めたが、後で考えれば、天井がなくしかも屋根に穴が開いていたということらしい。おままごとをするとき、イサオちゃんのお姉ちゃんのミヤコちゃんが別人に扮して「私の名前は天森ミヤコ」などと言っていたのは、雨漏りに通じていたわけだ。
 それはともかく、家にはしょっちゅういろいろな人が来た。イサオちゃんのおばあちゃんが毎日お昼過ぎにお茶を飲みに来て、ひとしきりおしゃべりをしていくのが日課だった。しゃべることがない時はお婆ちゃんたちも母も一緒に居眠りしていた。これを「ガッコ茶」というのだろう。ガッコとは女房言葉の雅香=お漬物のことで、お茶菓子ならぬガッコで茶飲み話をするという意だ。他にも近所の指物師のおかみさん、町内の世話役をしていたおばさん、奥さんに逃げられて独り者だという大工さんなどがやって来た。ぼーっとした子どもだった私だが、大人の話を聞いているのは面白かった。訪れた人が帰った後で、母と祖母が小声でぶつぶつ悪口を言うこともあった。外の顔とうちの顔は同じではない。
 近所の人だけでなく、物売り、近在の農家の人、お払い物を持っていく人々が懐かしく思い出される。お正月になると万歳や獅子舞などが来たものだ。門付けの人たちだ。
 その中の一人がKさんだった。「うちは禅宗だ」と祖母が言っていたようにお墓は曹洞宗のお寺で、命日にはそのお寺のお坊さんがお経をあげに来たが、それとは違う「ホッケ」のお坊さんが時々来た。 「ホッケ」とは魚の名前だと思っていたから、よくわからなかったが特に疑問にも思わなかった。 祖母と母は家の宗派とは別に法華を信仰していたようで、特に母は熱心に朝夕お仏壇に向かって「何妙法蓮華経」と唱えていた。信仰と言うより、病気が治るとか、お金がたまるとか家内安全とか、どう考えても現世利益を祈っていたように思える。戦争を挟んで、大変な時代を生きてきたから、何かご利益にあずかりたいと思っても不思議ではない。大正末期から昭和にかけて法華が流行したのも、ナショナリズムっぽい感じに加えて、何かにすがりたい民衆の気持ちの受け皿だったのかもしれない。
 うちに時々現れるお坊さんというのはその法華のお坊さんだった。墨染の衣を着て頭を丸めていたが、お寺を持たない云わば「流し」のお坊さんと言うことになる。今思えば五十前だったのだろうが、寒い日に長靴と僧衣で風に吹かれて寒そうに歩いてくる様子を見ると、お坊さんと言うより貧乏神に近いような気がした。祖母と母は「おや、またKが来た」などと言っていたから、必ずしも歓迎されていたわけではなさそうだ。来るとお経をあげて、「悪いものが付かないように」というお払いをしてくれる。大音声で木魚を打ち鳴らし、お払いの時は仕上げに頭の上で火打石をカチカチやって火花を散らしたりした。いつも一心不乱でしかもにぎやかだった。子どもには面白かった。それが済むとご飯を食べて帰っていった。
 Kは説教がましいようなことは決して言わず、常につつましい人だった。時々子どもの相手もしてくれる優しい人だった。もともとは、名前を言えばだれでも知っている大きな呉服屋の次男坊だったと言うことだ。初めてうちを訪ねてきた時、祖母はそんなホイト(乞食というような意味)みたいな者を家に上げる気はなかったのだが、話し話ししていると彼の母親が自分と同じ年だと知った。そして「息子がこんたもんだば、その母さんなんぼ仕方ねべ」と情にほだされて、つい面倒を見るようになったのだという。
 ホイト=ほいとうは秋田弁だと思っていたが、陪堂と書く古い言葉らしい。山頭火に「ほいとうと 呼ばれる村の しぐれかな」と言う句があるそうだ。もともとは行乞する僧侶を意味するらしいから、まさに山頭火もKも文字通り「ほいとう」ということになる。
 母は「Kは貧乏くさいが卑しいところがない。もともと育ちがいいだけのことはある」などと言っていた。語るともなく語ったところによると、法華に入れ込み過ぎて実家を勘当されたとか。肺病を患ったが一心不乱に念仏を唱えているうちに病を克服したとか。そんなことを母が言っていたように覚えている。K自身の言葉で聞いたのは、「若い頃家出して東京へ行き、浅草のキャバレーでボーイをしたことがある。そこで働く女たちが客を悪しざまに言っているのを聞き、女たちの裏表の姿を目にして、男というものは本当にバカなものだと知った」と言うような話だった。何度か家出しては家に連れ戻されたことがあるようだった。
「この間、久しぶりに兄に会ってしばらく話しました。兄は金はあるが、商売をしているから常に心配事が心から去らない。おらは金はないども何の心配事もない。兄もしまいに笑って『おめだば一番いいな』と言いました。」
 それから何年もして、子どもたちがまだ小さかった頃実家に行った時、たまたまKも来ていて、子どもたちが風邪を引かないようにと昔のようにご祈祷をしてくれた。そのお経の文言に「コックダイオー」と聞き取れるものがあって、子どもたちは「コック大王」と叫びながら転げまわって笑った。Kはとがめるわけでもなく、子どもが騒いでいるのを見れば仏さんも喜ぶと微笑んでいた。今でも合羽橋のニイミの大きいコック像を見ると心の中で「コック大王」とつぶやいて笑ってしまう。
 その後また何年もして、たまたま近所の医院でKを見かけた。それがKさんにあった最後だった。多分Kの方は私が分からないだろうと、挨拶するのを遠慮していた。ところが「持ち合わせがないから支払いはこの次に」と言っているのを聞いて、思わず名乗って代わりに診察料を支払った。私のことを認識したかどうかはわからない。それでも、よかったと思った。その頃Kは手形山の奥に小さい祠のようなものを作って、たまに訪ねてくる人がいれば拝んであげたり、知り合いの家や食べ物屋などを回ってご飯を食べさせてもらっているということだった。ある冬、坂で転んだが雪が積もっていたのとリュックを背負っていたため、自力で起きられなくなり、朝になって人が通りかかるまで一晩そのままで過ごすということがあったという。それから間もなく家族に引き取られて祠をたたんだ。しばらくして亡くなったと聞いた。実は県北の方に奥さんと息子さんがいらっしゃったそうだ。

 家業を嫌い、一心に法華経を信じ唱え、時に熱狂して熱情のままに出奔する。人のために祈る。
…そんな人を知っている、と私は思った。そうか、今思えばKさんは童話を書かない宮沢賢治みたいな人だったのかもしれない。


Art

 今月はひろちゃんの作品。いいね!



↓これは学校の宿泊研修で見た海に沈む夕日の作品だそうです。
すごいね。うん、太陽が沈む時、なんだか水平線に引っ付くような感じに見えるんだよね。
↓はるちゃんのぬりえです。はるちゃんはぬりえの名人として、クラスメイトに一目置かれているそうです。クロミちゃん、ちょっとはるちゃんに似てるかも?  ©サンリオ

編集後記

 今年は梅雨らしい梅雨です。梅雨寒という言葉も思い出しました。
でも、あの猛暑がやって来るのももう間もなくです。
何とか生き延びましょう。
















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