G.B.Times 10月号 No.12
Hello!
今日は秋晴れのさわやかな一日でした。で、10月はキンモクセイ。以前は9月末とか10月アタマに咲いてたような気がしますが、年々秋の訪れが遅くなっているようです。キンモクセイも桜みたいに、どこかで香ってる、ああ秋だと思うとあちらもこちらも一斉に咲き始め、そして一斉に終わってしまいます。お花がちっちゃいから悲壮感はないけどね。
実はこの香りを知ったのは大学に入ってからです。最近は北国でも育つらしいですが、私からすると南国の木と言う感じでした。大学の今出川通に面した生け垣がキンモクセイだったのではないかしら。
うちでは花をそのまま蜂蜜に入れます。安い蜂蜜でもキンモクセイの香りで素敵な蜂蜜に変身します。見た目が「キモっ」と言う声もあり。
仲間たち
今日のおさんぽ
Memories・Art
片付けものをしていたら出てきたさっちゃんの絵。5.6歳頃のものではないでしょうか。懐かしい。一生懸命に書いていたなと思い出します。もうこの頃からさっちゃんらしいスタイルが感じられるかな。ストーリー物にもチャレンジしています。
絵を描いているさっちゃんと共に過ごした時間は、とても大切な時間だった、と今は知っているけれど、その時の私は、ああ忙しい忙しいって思っていただけだったかもしれない。ホントに大事に生きてなかった。そんな気持でしょうか。あの時からもう7.8年も過ぎてしまったなんて…この頃時折襲ってくるこの気持は何なのでありましょうか。懐かしいと言うより、ああ、もう手が届かない。取り返しがつかない。あの時のあの時間は二度と戻ってこないというような、大袈裟に言えば『慚愧に耐えない』みたいな感じかな。5歳のさっちゃんにはもう会えない。5歳のリンにも5歳のあかねにも5歳のシュンにも…それは悲しい事じゃないはずだけど。
退職してからか、時折り夜中に急に目が覚めるようになりました。いろんなことがフラッシュバックするような感じ。夢の中で何かを思い出して、苦しくなって目が覚めることもあります。やっぱり『慚愧に堪えない』ような気持。どうして?いつも自分的には必死でやって来たし、いつもそれなりに楽しかった筈なのにね。その時の自分が完全じゃなかったとしても、忘れちゃったり許しちゃってもいい筈なのに。だけど、あの時あんなことを言ってしまった私は、相手の人のことを何もわかっていなかった、などとうじうじと考えてしまうのです。ついさっきのことは思い出せないのに、おかしなことが突然記憶の沼から顔を出します。
遠い過去も近い過去もおんなじこった
近い過去はあんまりまざまざ顕現するし
遠いい過去はもう手が届かない 中原中也『雲』
今日テレビを見ていたら、獣医学の元教授がご自分のことを語られていました。「一女性として、いろいろと悔いることもある。過去がフラッシュバックすることもあるけど、自分でコントロールしてトイレかシャワーのタイミングに持って来る。そしてお湯や水に流す」というようなことをおっしゃってました。その先生はすばらしい業績を残された方で、私とは全然立場が違うけど、でもその方法は参考になるかもしれない。お湯に流す、水に流す。
今日の言葉・隠居
マライ・メントラインというドイツ出身の女性の『日本語再定義』という本を読みました。もちろん私が読むぐらいだから、日本語で書かれています。それでもちょっと難しい本でした。ドイツ人の彼女が、日本語の気になる言葉(例えば忖度、萌える、上から目線など)について、いろいろと論考し、それによって日本社会論ともなっているような感じかな。
その中に『隠居』という項があり、こんな一節があります。曰く「親世代が職業リタイア後の余生をイイカンジに満喫しているのをじかに見せつけられ、さらに、自分にはこのような余生は存在せず、けっきょく死ぬまで自発的労働奴隷生活を送ることがほぼ確実であることを毎分毎秒意識させられねばならない立場から見ると、少なくとも自分とその周囲は確実に貧乏くじを引かされている、という実感がある。(原文のまま)」ううむ。我々もリタイアし、サンデー毎日な生活を送っているわけで、呑気なブログなぞを書いているのは、現役世代からはそのように見えているのだろうか…と改めて愕然としたわけです。子どもには子どもの、若者には若者の、そして老人には老人の苦しみがあるのだけど、それを分かり合うのいささか難しいのかもしれません。
まあね、イイカンジの余生を送れるかどうかは実は年金の多寡にかかっているのかも知れず、地獄の沙汰以上に、老後の沙汰も金次第という厳しい現実もあるのですが。日本語学校のバングラデシュの学生が「私は夜のアルバイトをして、朝5時の電車で家に帰ります。私が家に帰る時間に、掃除の仕事をするために80歳くらいのお婆さんが電車でやって来ます。私の国ではお婆さんは家で、家族に世話をしてもらって生活しています。日本のお婆さんは世話をしてくれる家族がいません。お金もないから働きます。とても可哀想だと思います」とスピーチコンテストの原稿に書きました。(教師がうまいこと添削して、80歳を過ぎても働いている日本のお婆さんは偉いと思います、という結論に導いていましたが)
昔アングラ女優をしていた友人が、「演劇やってた人で年金を払っている人なんていなかった」と言っていました。きっとそうだろうな…今、工事現場や路上で交通整理などの仕事をしている高齢の人をよく見かけます。友人の言葉を聞いてからは、「この人も昔役者さんだったかもしれない。あの人は舞踏家だったかも、それからあの人はミュージシャンかもしれない。などと思うようになりました。イイカンジに余生を満喫している冬のキリギリス、いや路上の芸術家達です。
編集後記
ああ、10月も終わっていく!いつも腰を上げるのが遅いので、月末になるとアワ食ってしまいます。今月も秋の日々を味わう余裕もなくタスクに追われ、慌ただしく過ごしてしまったように思います。
さあ、11月を迎えよう。おっと、その前にHappy Halloween!!
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